「アラフォー男子でも転職は出来る!!」
あ、どうも初めまして!「30代40代のおじさん転職指南所」へお越しいただきありがとうございます。
管理人のりゅうのすけと申します。30代で3回の転職を経験してきた、アラフォー独身男です。
このページでは、転職や仕事の事ではなく、私りゅうのすけの自己紹介ページとなっております。
興味がある方だけ見て頂ければ、嬉しく思います笑
それでは参りましょう・・・。
自己紹介
りゅうのすけという名前はハンドルネームです。
ただ単に恐竜が好きで、恐竜のフィギュアを集めているのでその名前にしてみました。
以下がりゅうのすけのスペックです。
- 【性別・年齢】:男子42歳
- 【出身在住】:熊本県
- 【結婚】:未婚
- 【仕事】:サラリーマン&ブロガー&webライター
- 【家族】:両親・弟・妹・柴犬(7才)
- 【趣味】:ロードバイク・ラジオ・映画
- 【出身校】:熊本学園大学
- 【好きな物】:甘い物
- 【嫌いな物】:オクラ・焼き魚・煮魚
こんな感じで、どこにでもいそうな、アラフォー独身男でございます。
ロードバイクでフラフラ熊本県内を散策して、月に2回ほど映画を見に行きます。たまに犬の散歩にもいきますよ。
甘い物がとにかく好きで、コンビニのスイーツとコーヒーがあれば、幸せになれます♪
楽天家でのんびりしているところがあると言われますが、めちゃくちゃビビりで豆腐メンタルもいいとこです・・・・(笑)
ハンドルネームに「竜」を付けているのは、少しでも強くなりたい!強く見られたい!という願望も入っているからかもしれません・・。いや間違いないです!
そんな私りゅうのすけですがこれまで30代で3回の転職をしてきました。
これは、多いと思うか少ないと思うかは人次第ですが、自分では多い方だと思います。
その中で様々な、不安・迷い・葛藤・怒り・悲しみが自分の中で渦巻ながらも何とか転職を繰り返し、今に至ります。
それでは、私りゅうのすけの転職遍歴を書いていきたいと思います。
まさかの大学留年!からのパチンコ店アルバイトの日々
大学を4年で卒業する気満々だった私りゅうのすけは、「君、留年ね」と言われた時は、たいぎゃなたまがりました。(熊本弁:とてもびっくりしましました)
必修科目のテストを受けるのを忘れていたのです・・。
どうすることも出来ずに留年した私りゅうのすけに、一つの話が転がり込んできました。
ネットワークビジネスの話です。「この世にはこんな仕事があるんか!!」と、とても驚き、その場で自分もやりたいと言って、大学を卒業した後始めました。
ネットワークビジネスを始めた私りゅうのすけは、とにかくそれに時間を費やしたかったので正社員の道ではなく、地元のパチンコ店にアルバイトとして働き始めました。
アルバイトなら時間もある程度自由に作れるし、そこまで一生懸命やらなくてもいいだろう、的な今考えればかなり甘チャンな考え方でした。
なにより24時間そのネットワークビジネスの事だけを考えていたかったんです。
でも、なかなか結果が出ません。
人にアポを取ってビジネスや製品を伝えたり、セミナーに行ったり、成功者に会いに行ったり、本社や海外視察の為にアメリカや中国にまで行きました。
でも結局私りゅうのすけは、このネットワークビジネスで成功する事は出来ませんでした。
今でも忘れません。私りゅうのすけは、2009年8月にそのネットワークビジネスを辞めました。
そのネットワークビジネスを辞めたので、もうパチンコ屋にいる意味はありません。私は転職を決意します。
気付けばもう30歳になっていました。
ここから私りゅうのすけの転職人生が始まるのです・・・・!
パチンコ屋から医療事務へ
私りゅうのすけは、何か資格を得て出来る仕事があれば食っぱぐれる事は無いのではないか?と思い、医療事務の資格を取ろうと思いました。
まぁそれはかなり安易な考えだったと後で気づくのですが・・。
パチンコ屋の仕事を2010年中に辞めると決めた私りゅうのすけは、夏ごろから勉強をし始めて秋頃に資格を取ることが出来ました。
「おし!これで俺の代の人生は好スタートだぜっ!」
そして2011年の2月に地元の総合病院の医療事務の仕事をすることになりました。
最初は派遣で入ってキャリアを積んでいけば正社員になれるという事で頑張ろうと思っていました。が・・・思いもよらない事が2つ起きたのです。
1つ目は給与問題。
安いとは聞いていたんです。「最初は仕方ないだろう少しずつ頑張ればいい」と思っていました。
でも実際貰った初任給が手取り10万円。これがしばらく続くとの事。
私りゅうのすけは、ちゃんとこの辺を確認していなかったんですね・・・今考えるとアホ過ぎます笑
そして2つ目は人間関係。
自分はそんなに人見知りもしないし、集団の中で波風立てずに平和的な人間関係を構築できる人間だと思っていました。
しかしここでは違ったのです。
医療事務は女性の世界。ほんと年下の先輩女子スタッフにこれでもかというくらい嫌われまくりました・・・。
話しかけても嫌な顔される&イヤミを言われる&もんのすごい勢いで罵倒される事もありました。
あ、これは先輩としてのアドバイスで叱っているというのではないな、とすぐに気付きました。
恐らく自分が悪いのであろう・・そこを直さないといけない・・と思いつつも先輩女子スタッフに聞けない。また更に人間関係が悪くなったらどうしよう・・・。
なので仕事もなかなか手につかず覚えるのもままなりませんでした。
ストレスで、頭がボーっとして時々目まいがするようになり、日曜の夜は「寝たらまた月曜が来てしまう・・」と苦しくなっていました。
そして人間関係のストレスで悩みながらこんなことも考えていました。
「まさか自分が30超えて、こんな安月給でしかも年下の女子社員からこんなに嫌われることになるとは、思いもよらなかった。人生何があるかわからないな・・・」
うん、もう辞めよう。ここにいる意味ないわ。
わずか9か月だけでしたが、かなり濃厚な時間を過ごしました。
でも今振り返ってみると、とてもありがたい経験をさせてもらえたのではないかと思う事が沢山あります。
ここでの経験を今後活かしていけたら、そんなことを考えながら私りゅうのすけ、2度目の転職活動を始めました。
医療事務から牛乳の営業へ、そして・・・
医療事務の方には、次の仕事が決まるまではいてもいいという事でしたので(本当は1秒でも早く辞めたかった笑)採用が決まったら直ぐに退職しました。
次の仕事は牛乳の営業職。サンプルバッグに瓶牛乳をつめてゼンリン地図を見ながら自宅を1軒1軒回るというものでした。
2週間県外にある本社での研修が終わり、熊本市内の店舗での仕事が始まりました。
初めての営業職。正直、営業職は向いていないな・・と思いつつも、少しづつでしたがコツはつかめてきました。
この牛乳の営業を初めて、この仕事を始めてよかったなと思う事がありました。それは、今でも仲のいい先輩や同僚と知り合えたことです。
仕事が終わって飲みにいったり、プライベートでも遊ぶようになりました。
他の店舗ですが、彼女もできたりしました。もう別れましたが・・・(笑)
その仕事を始めて5年目のある日、他の店舗で店長をやってみないかという話がありました。
最初は戸惑いましたが、引き受ける事にして2016年の夏からその店舗の店長として頑張ることになったのです。
しかし、2018年3月に運命の日がやってきました。
毎月の定例会議で県外の本社に行ったときに、衝撃の事実を突きつけられました。
数人の店長たちに本部の幹部からのリストラ勧告。その半年後、多額の負債を抱えて会社は倒産したと聞きました・・・。
30代後半になってからの3度目の転職をせざるを得なくなりました・・・・!!
38歳にして3度目の転職
りゅうのすけは38歳にしてまたまた転職をしなくてはならなくなりました・・。
でも、文句を言っても愚痴を言ってもどうにもなりません。就職しないとご飯を食べてはいけません。
いくつか面接を受けた後、派遣会社の正社員になり、そこから工場に派遣される、いわゆる「工場の派遣社員」になりました。
なぜこういう道をだどったのかは、おいおいブログの方でも話していきたいと思います。
(スミマセン、プロフィールなのにだらだらと長くなってしまいました笑)
こんな感じの私りゅうのすけの転職歴になります。
この体験を踏まえたうえで、30代40代の転職で悩んでいる皆さんの背中を押せるようなブログを作っていきたいと思っています。
この記事を読んでいただいている皆様、よろしくお願い致しますm(_ _)m